[映画]森田芳光『の・ようなもの』から『間宮兄弟』まで
リンク: 映画「間宮兄弟」.
『間宮兄弟』が大ヒットでロングラン上映になっているらしい。未見の方は是非。個人的には久しぶりに「僕の好きな森田」が楽しめた。
その有り余る力量で、いまや現代を代表する映画監督となっている森田だが、僕が一番好きなのはデビュー作の『の・ようなもの』(1981年)だ。つまり「僕の好きな森田」すなわち『の・ようなもの』と言ってもいい(あと『家族ゲーム』『(ハル)』もあるけど)。
前にVTRに録画したものをDVDにダビングしようとして、結局また頭から全部観てしまった。それでこんな時間に。もう、朝だよ。
僕はこの映画が、頭の先から尻尾の端まで大好きだ。何度観たかわからない。
偉くもなければ強くもない、ごくごく普通の、わりとパッとしない人たちが、小さなことに一喜一憂する中で生まれるささやかなおかしみ、森田はここに天眼鏡を当てて、めちゃくちゃに拡大してしまう。あまりにもめちゃくちゃな倍率の拡大なので、とても変な人に見えるわけだけど、実はあなたや私と同じ、普通の人なのだ。だから、おかしいのだ。人が生きていく上での悲しみも、エロっぽさも、みんなこの天眼鏡で「おかしさ」の中に取り込まれている。
そして、構図の律儀さ。これがいい。
オープニングの「芝生の真ん中に椅子」からエンディングの「ビアホールのちょうちんをぶら下げた電線」まで、定規で測ったような精密なフレーミングのなかに「おかしい人」をポンと置く、これが、おかしい話を余計におかしくする。
ときどきさらっと被る台詞も、音楽も、効果音も全て律儀にしっかり精密に設計されている。
心情を台詞でなくイメージで表現する手法も素敵だ。たとえば、主人公が落語の下手さを指摘されると、まだ茶の間にいるはずの彼が、いきなり終電の去った薄暗い駅の前に突っ立っているシーンが挿入される。そしてまた元の茶の間に戻るのだが、この間がまた絶妙なのだ。なんとなくではあるが、滝田ゆうのマンガの「あぶく」を思い出す。
同様の手法はデビュー25周年の今年、封切られた『間宮兄弟』の中にもふんだんに見られる。たとえば間宮兄弟が浴衣パーティのために着替えるシーンの間でオーバーラップする「浴衣じゃなくて着ぐるみを着る」あたりは、まさに「心情をイメージで表現する」そのものだ。
…というか、『間宮兄弟』の中に『の・ようなもの』を思わせるシーンが頻出するのは、多分僕のようなファンに対するサービスみたいなものなんだと思う。夜中の東京を歩く/走るシーンとか、あとアイビーっぽい衣装のセンスも、なんか似ているし。
それにしても25年。
可愛らしい女子高生だった麻生えりかさんもいまはこんな感じ。
森田、来年は『椿三十郎』だっけ?でもまた、こんな落語みたいな「ささやかで面白い」小さな映画を撮ってほしいなあ。
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