「ことのは」問題について佐々木さんの指摘
鋭い指摘なんだけと、ということでちょっとメモ。
リンク: CNET Japan Blog - 佐々木俊尚 ジャーナリストの視点:「ことのは」問題を考える.
オウムに対して日本社会の中には、呆然と恐怖心だけが残り、それが漠然とした社会正義へとつながっている。その社会正義はひどく漠然としているけれども、言論としてネット上に出現したとたんに、絶対的な正義として表出される。漠然から絶対正義へと至る変容がなぜ生まれるのかは私にはまだよくわかっていないのだけれども、90年代以降の社会が生み出した宙に浮いたような抽象的なオウムへの恐怖心が、ネット空間にも流れ込み、ある種の空気として漂っているということなのかもしれない。その暗い空気を言論化すると、それは絶対的な正義へと転換してしまうということなのかもしれない。そうであれば、オウム真理教と同種の恐怖が今後もさまざまに社会の中に生じていけば、同じことは次々と起きる。
フラットになるということは、こうした絶対的正義をも許容しなければならないということなのである。これはなかなかたいへんなことだし、抱えていくのは非常につらい。フラットの呪縛と言うべきだろうか。
ややこしく考えすぎのような気がする。
要は、多くの人が、その場の空気にあわせて「言い易くて反論しにくいこと」を言っているだけだと。
結局のところこの国の民は議論が苦手で、議論から何かを生み出すことが難しい。
であれば自己顕示欲は「言い易くて反論しにくいこと」を言うことによって容易に達成される、というだけの話なのではないか。ネットの最大の特徴は「言い易い」ってことなのだから。一部の絶対正義は2chでいう自治厨とあまり変わらない。物事を相対的に見られないんだから。
んで?
んで?
僕はお笑いをやるしかないと思っている。絶対正義の絶対性を打破するのは、パロディでしかない。
※追記 泉あいは、この際脇に置いておいた方がよくね?稚拙なだけでしょ。あの人は。
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