『ローマの休日』についてちょっと
テレビで『ローマの休日』を放送していた。
無視してアド街っくを見ていたのだが、結局後半から見てしまう。
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僕はこの映画が好きだ。
この映画の脚本を実際に書いたのはドルトン・トランボである。
彼は「赤狩り」の中で、表現の自由を守るために、非米活動委員会の席で証言を拒否した。
自身が共産党員か、周りに共産党員はいるか、という尋問に対して、自らの良心にもとづいた彼は答えようとしなかった。結果、禁固刑を食らい、ハリウッドを追放される。
しかし彼は、友人の名前を借りて『ローマの休日』を書き、さらに肉体労働に従事して脚本家としては完全に死んだと見せかけて、変名「ロバート・リッチ」で世に送り出した『黒い牡牛』でアカデミー原作賞を受賞する。
あのチャップリンですら米国を去ったマッカーシズムの嵐の中で、ハリウッドは彼の才能まで締め出すことは出来なかった。追放したはずのトランボに賞を贈ったアカデミーの権威は大きく傷つき、この受賞を最後に、アカデミー原作賞は廃止されてしまう。
一方で映画を撮り続けるために仲間を売り渡してしまったエリア・カザンは、のちのちまで非難を浴びることになる。
さて、ご覧になった方はこの『ローマの休日』のラストシーンを思い出して欲しい。なぜあの新聞記者はあのような行動をとったのか?
成功よりも大切な信義があったからだ。
友人を権力に売らなかったトランボ。あのシーンは、彼自身の振舞いとぴったり重なる。
ただのロマンチックなラブストーリーと思われがちな『ローマの休日』には、じつはこんなメッセージが託されていたのだった。
映画ファンの間では有名な逸話だが、まだまだ知られていい話だと思うので、ここにメモってみた次第。
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