お礼とお返事と、妄想(電車男についてSammy'Blogへのトラックバック)
しょうもないエントリを絶妙に料理した素晴らしいトラックバックを有難うございます。また、しょうもなくなりそうですが、僕なりに返しておきますね。
ただひとつ、見えてきたある「傾向」を指摘するとすれば、前回そして今回の事件が露出させて見せている現象は、(それは先ほどの「心性」についてなのですが)――戦後日本人が保持してきた一種の保守主義的世界観=「守られる自分」:「守る社会構成体(国)」という構図の揺らぎそのものなのではないか、と思うのです。言い換えれば、自分の身の回りの実感しうる「小さな世界」と、マスメディアや国際情勢が語られるような「大きな世界」とを架橋することの困難さの自覚(およびその反転)、といったらいいでしょうか。
その「構図」とは、松下圭一言うところの「水戸黄門」ですかね。じいさんがのお付が印籠出したらへへっとおしまいになる。最初から出せよ。
阪神大震災以降でしょうか、この水戸黄門の姿がゆっくりと消え始めたのは。この国においてインターネットが動き始めた時期と重なります。そして、オウム。
・増幅についてですが「抑制」もまた増幅されるのだと思います。当座のイベントにおいては集団的オーバーランが発生しますが(「祭り」ですね)、結局「抑制」的ことばもまた増幅され、結局は落ち着くところに落ち着いていくのではないかと。なんというか、それを信じるしかないかなと。巨大な交感神経と副交感神経がうまく動いてくれることを。
・Blogにおいてはその構造上、集団イベント「祭り」が発生しにくいので、単独オーバーランはそのままスルーされ、ゆっくりと腐ってしまうのではないかと。木村剛みたいなのは稀で、むしろこのようなトラックバックによる一対一の対話にこそ、その妙味があるようですね。
・よかったら、電車男氏とエルメスさんだけでなく「住人」たちのことも祈ってやってください。毒づくために集ったくせに、いつの間に見ず知らずの人間の幸せを必死に祈るやつらを。例によって板が荒れちゃったんで、いまはどこかに避難しているみたいですけど。
・あとこのWebには電車男のようなハッピーな話のほかに、かなり残酷な結末の物語もあります。彼らの幸せも祈っておきたい。
・僕は八百万の神をなんとなく崇めているいいかげんな男ですが、祈るというのは、結構いいですよね。見ず知らずなのに、ついそいつの幸せを祈りたくなるような人に、またこのネットのどこかで出会えたらいいなと思います。
・ステレオタイプを打破するのは、無数の小さな物語だと思います。もし電車男の物語が多くの人達の心を動かし、ネット社会の捉え方までも変わってしまう契機になったとしたら、この物語をわれわれに提供するきっかけとなったエルメスさんは、我々自身にとっての女神なのかもしれません。
…いやもちろん妄想なんですけどね。
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