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2004.04.03

消費者は広告の奴隷ではない。かつても、これからも。

週刊!木村剛: 「広告の奴隷」から「広告の主人」へ [コラム]

僕が想像するに、木村さんのこのエントリは「ツリ」なんだろうな。
木村さんは自分が広告・マーケティングの分野に対して知見が足りないという自覚があり、とりあえず自分が認識していることをエントリしてみて、トラックバックの力でそれを修正補足しようとしているのではないか。
確かにこの手法は有効だとおもうが、やりすぎるとご自身のブランドイメージが低下するのでご注意されたい。

というわけでつられてみよう。この前二冊も本にサインしてもらったし。

数々の事実誤認があり、いちいち突っ込んでいると膨大な文字数になってしまうので、その辺は適当に。

受動的な視聴者から能動的な視聴者へ
テレビを見ながら携帯電話を使用したり、パソコンでインターネットにアクセスしたりする「ダブルスクリーン族」と呼ばれる人も多いらしい。テレビでは自分の興味ある番組や部分だけを見て、後はインターネットに時間を費やすというスタイルだ。こうなると、興味のないテレビCMが流れている時間などは、見ているのはテレビの画面ではなくインターネットの画面ということになってくる。このような変化は、従来、視聴者が受動的な立場にあったテレビというメディアに対して、視聴者が能動的に働き掛けるというポジションにシフトしつつあることを意味している。

 インターネットが登場する前から、多くの消費者(視聴者)は決してテレビCMに対して受動的ではない。
 ネットが普及する前のお茶の間を思い起こしていただきたい。興味のないCMが流れれば、多くの消費者が、家族で会話するとか、今までとめていた箸を動かして何か食うとか、新聞を読むとか、トイレに行くとか、よそのチャンネルに回してみるとか、意識をオフ気味にする、などの行動をとっていたはずだ。これは充分能動的な行動である。 それに、CMをただコンテンツとして楽しむだけで商品は決して認知しようとしない場合もある。
 さらに言うと、良いCMが流れれば「こりゃいいね」、ひどいCM・間違っているCM・気に食わないCMが流れれば「こりゃひどいね」などと「ツッコミ」すなわち批評を入れる視聴者もいる。これもまた能動的だ。この「ツッコミ」は極めてテレビ的な視聴者行動である(たとえば映画館などでツッコむと怒られる)。ただしその「ツッコミ」を聞くのは一緒にテレビを見ている家族などに限られる。
 テレビCMとはこのような、けっして奴隷ではない厳しい消費者の関心を引くために、あの手この手の工夫を重ね、少しでも多くの消費者からの認知を得るために努力してきたのである。
 他の広告も同じである。だから広告のクリエイティブは、くだらないものも多いが、素晴らしい文化的価値の高いものも多いのである。
 こうして広告は多くの文化を創造し、また広告料金により多くのマスメディア、コンテンツ、文化を支えてきた。この程度のコストでニュースやエンタテインメントが享受できるようになったのは広告があってこそである。しかしそれは「奴隷・主人」の関係ではないのだ。
 たとえば広告がなければ「プロレス」という文化も成立しなかったろう。プロレス中継を見ていたはずの木村さんは、果たして奴隷だったのだろうか。

 ネットによって登場したダブルスクリーン族というのはテレビを見ながら、それに関連する情報をネットで検索したり、2ちゃんねるやチャットなどで「ツッコミ」を言い合ったりする。つまりネットが空間的限界を超えて「お茶の間を拡大」することにより、もともと能動的だったCM視聴態度がさらに活性化したのである。ポジションそのもののシフトではない。

このような視聴者の態度の変化を反映して、企業の広告の出し方も変わりはじめている。

 態度の変化というよりも、接触人数・接触時間の変化と考えたほうが妥当である。もちろん接触時間が変われば態度も変わると思われるが、広告主が「広告の出し方」を変える最大の原因は接触人数・接触時間である。
 ちなみにネットの接触時間は週で2224万人 x 4時間32分 = 約1億時間(3月1日~7日の週間データ、出典:Nielsen//NetRatings)
いくら前年度40%増といっても、インターネット人口はすでに6000万人を超えているのだ(2003年2月末で5,645万3千人・2003年12月末では6,124万人(予測値))。
 現在のインターネット広告費2.1%というのは実はきわめて少ない。つまり激変どころか変化は遅れているとも言えるのだ。

 実は「ネット接触時間の拡大」と「ダブルスクリーン族の増加」により、今までよりさらに有効なテレビCMが可能になる。
 ネットで話題になることを狙ったCMを作るというのも一つの手だが、もう一つは連動だ。たとえばテレビで幅広く告知し、関心を持ってくれた消費者をWebに誘導し、さらに詳しい訴求を行い、商品によっては資料請求や購入まで引き込むのである。
 複数の媒体を連動させる「メディアミックス」の概念は広告戦略上極めて重要とされてきたが、昨今はネットを加えたメディアミックスが増加しており、ネット広告の伸びに寄与している。

日本においても、2002年位からいわゆる「キーワード広告」と呼ばれる広告商品のサービスが始まっていると聞くが、これは例えば、ユーザーが「住宅」というキーワードで検索をかけると、「住宅」の検索結果の周囲にそのキーワードに関連したテキスト広告が表示されるというものである。

 多少専門的になるが、2002年頃登場した「キーワード広告」とはGoogleのアドワーズとオーバーチュアで、確かにこれらの広告は根本的に今までのインターネット広告とは全く違うモデルを持つ画期的なものだが、検索結果に広告が連動する仕組みは1996年から存在し、ヤフーなどのサーチエンジンにおいては最初から組み込まれていた(ただし当時はバナーで、その後テキストも登場した)。

 またアドワーズなどの「キーワード広告」にしてもクリック率は非常に低いことがあり、それでもかなり広告効果があがることも指摘しておく。つまり、クリック率が高いことだけが価値ではないということだ。まあこのあたり詳細は省く。

 大切なのは、そもそも広告とは興味関心を獲得することにその機能があり、通常の広告は関心外だった商品・サービスに触れることができる消費者にとっての重要な機会を提供している。また、機会しか提供していない。興味関心に応じて広告を露出するキーワード広告の機能は非常に限定されていて、従来の広告を代替するものではない。また、

しかし現在、巷に溢れる広告は、肝心の商品の「真の価値」を伝達しているだろうか。もっと厳しく言えば、「真の価値」を持たない商品まで、消費者の無知蒙昧につけこむように不要なものを売りつける手段として、「広告」というものが使われていないだろうか。

 購入まで直接ミスリードできることも可能なキーワード広告は、ある意味テレビCMよりたちが悪い。消費者の無知蒙昧につけこむように不要なものを売りつける手段として使いやすいのである。
 そしてキーワード広告は、多くのブログにも表示されているのだ。

 さて、考えてみて欲しい。
 テレビCM・ネットのアドワーズ・ブログ…どれも一つの情報である。
 テレビCMに流される消費者は、「キーワード広告」にも流される。ブログの情報にも流される。
 それは広告の奴隷ではない。情報に対して流されやすい、主体性に欠けるというだけである。

 広告のおかげで視聴者は低コストでコンテンツにアクセスできるようになり、メディアは機能している。
 今後はブログも例外ではない。ココログをはじめとするブログシステムASP提供は、当たり前だが運営にコストが掛かる。よって利用料のモデルだけではサービスを維持できず、広告モデルの恩恵に浴する可能性は充分にある。
 しかし広告主におもねってコンテンツの質を落とすと、消費者からは見限られる。この点においても、マスメディアもネットメディアも結局は同じなのである。

 ネットの登場によって広告の可能性はさらに広がった、それはまた消費者の主体的判断の材料と、判断能力を磨く機会もまた広がった、と考えるべきなのである。
 奴隷も主人も元から存在しない。より優れた供給者と、より賢い需要者が多くのメリットを享受する、つまり市場原理が、より強まるだけのことである。
 ちなみに規制の強い業種は広告も大きく制限されていることにも注意すべきだろう。都市銀行がテレビCMを打てるようになったのは1991年のことだ。

 必要なことは、主人だの奴隷だの言う前に、消費者教育を強化することだ。
 繰り返すが、テレビCMに騙される消費者はネットの広告や広告以外の情報にも騙される。
 それは決して企業を進化させないどころか「消費者保護」と称した規制強化に繋がり、まともな企業の活動を阻害し、おまけに行政コストを上昇させる。
 広告を含めた情報を判断する能力を消費者ひとりひとりが持ち、企業はその能力を信じて商品を開発し、広告などのマーケティング活動を行うことが、社会全体を進化させる。企業と消費者は相互に教育する関係を目指すべきで、奴隷でも主人でもないのだ。

 最後にもう一つ指摘する。

 消費者が情報武装できなかった過去においては、そうした広告戦略でも企業は生きていけたのかもしれない。しかし、「インターネットは顧客に力を付与する」とジョージ・ギルダー氏が断言しているように、すでに消費者は玉石混交ではあるものの各種の情報で武装しつつある。BBSは玉石混交比率が高かったが、もし発信者が特定されるブログがその玉石混交状態における「玉比率」を大幅に改善することができたとするならば——特定のブログが「玉」であるという認知を受け、そのサイトの信用力が他のメディアと同格になってきたならば——、消費者は既存の広告以外に有力な情報源を持つこととなろう

 これについては実名/匿名とBlogの可能性というエントリを起こしてトラックバックさせていただいたが、インターネット以前のパソコン通信において発信者特定はされていたのに情報は玉石混交だったという事実を述べさせていただく。「玉比率」の大幅改善にはまず消費者側の技術を磨くことが必要なのだ。
 特定のブログが他のメディアと同格になるというのであれば、すでにこの「週刊!木村剛」はそうなりつつある。年金問題についてマスメディアとこのブログとどっちが信用できるだろうか。
 しかしながら今回のような、コラムにするには知見の足らない分野を中途半端に取り上げることが続くと、せっかくの「玉認知」が台無しになってしまう可能性すらあると、僕には思われるのである。

 どうかご一考いただきたい。「週刊!木村剛」が「玉認知」されているのは、貴重な一次情報と優れた知見によるのであり、あやふやな伝聞・引用情報と知見不足の甘い指摘は、ただのイメージダウン要因でしかない、ということを。

 そして、消費者を「広告の奴隷」という言葉で表現してしまう感性には「消費者は愚かで保護すべき対象」と見なしてきたこの国の行政と重なるところはないだろうか。
 どうですか、木村さん。

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コメント

詳細かつ正確に説明していただき、ありがとうございます。僕が、???と思った部分を的確に突いて、説明されており、お見事な文章だと思います。木村氏のようなオーソリティ相手でも、「そりゃ、違うんでないかい?」と同じ場所で突っ込めるのが、ブログの良さですね。

投稿: まーねこ | 2004.04.04 04:00 午前

Trackback をいただきありがとうございます。
私が、木村氏のエントリへの trackback を書いていて、なんとなく居心地が悪いな~と感じていた部分を見事に看破してくださいました。
敬服いたします。

投稿: McDMaster(マナル店長) | 2004.04.04 12:12 午後

まーねこさんはじめまして。おっしゃるとおりですね。だからこそ木村氏はBlogに夢中なのでしょう。

McDMaster(マナル店長)さんはじめまして。お褒めいただき恐縮です。偶然さんはさらに看破していますよ。

投稿: さいもん | 2004.04.06 03:12 午前

さいもんさん♪

先日はトラックバックしていただきまして、ありがとうございました。

木村剛さんの広告のブログは相変わらず長くて読んでいるうちに飽きてしまいました。木村さんのブログにあったコメントをさっと見たら、なんだか他の人は感心していたようですが、みんなあれを最後まで読んだのかな? アタシは途中(1/3)で止めました。だって、つまらないのだもの☆

それにしても、木村剛さんの本はぐんぐんと読者を引き込む魅力があるのに、どうしてブログはあんなにつまらないのだろうか? 本は自分で書いて、ブログは社員が編集しているからかな? さいもんさんは木村剛さんのブログを読んで楽しいですか? (知的好奇心が刺激されるという意味で楽しいかということです)

投稿: こねこ | 2004.12.18 01:54 午前

> 本は自分で書いて、ブログは社員が編集しているからかな? 

逆かもしれませんねえ。

いまでは隊長が切り込まないと、なかなか見に行かないブログになりました。

投稿: さいもん | 2004.12.20 01:04 午前

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